祈りの本質とは?

こんばんは(^^)

もうすぐ立春ですね!

早く春になってほしいと思いつつ、花粉が辛いので初夏の陽気になってほしいのはきっと僕だけではないはず!

 

さて、今日は小林正観さんの本で知った言葉の語源です。

 

今日は『祈り』

 

祈りの語源は『意宣り』だそうです。

 

それぞれ

 

『意』は『心に思っていること、考え、気持ち』という意味があります。

 

立つ日の心

 

と書きますね。

きっとこれは『思い立った日の心』とか『(自分がやりたいこと・やるべきことに向けて)立ち上がった日の心』という意味があるのだと思います。

 

『宣』は『広く意向を述べ伝える、広く行き渡らせる、神や天皇が意向を述べる』という意味があります。

 

つまり、意宣りには『神が考えや意向を述べ伝える』という意味があります。

 

日本では、神だけではなく、天皇、将軍が言ったことは必ず。という時代がありましたね。

 

ということは、本来の意味は『神のお心のままに従います』という意味があります。

 

実は、本で読んだ時、漢字の意味を調べていた時、この部分の意味が理解出来ていませんでした。

ブログを書き始めたら、フッと浮かんできて理解出来ました。

 

祈りとは『自分がこうしたい、こうなりたい、あれが、これが』と神にお願いするのではなく、『私は魂の成長と幸せに生きるため、神のお心のままに意に従います。』とお伝えすることなんですね。

 

今でこそ、政治がどうの、国家がどうのって言いたいこと言えますし、変な話、会社で上司にたてついてもクビで済みます。

 

これ、江戸時代とかなら斬られて死んでます。

今は、真っ当に生きていれば命は取られない、いい時代のはずなんです。

 

こんな時代だから〜って言う前に、これがたかだか数百年前だったら殺されて、かつそれが政治批判したから正しい天罰と言われ正当化されていた時代があったことを忘れないでください。

 

そうすると、あれが、これがではなく『意に添います』と言えると思います。

もちろん、必要なものは天は与えてくれます。

 

何故なら、質素な生活を送る、貧しい暮らしを送ることが天の意向ではないからです。

もちろん、魂の成長のために貧しい暮らしを強いられるというカルマを持ってきている魂も存在します。

そこで魂が成長してしまえば、もう貧しく生きる必要はないんです。

だって、魂の成長のために貧しく生きているだけですからね。

 

さっさと魂を成長させちゃえばいいんです。

魂の成長ってどうすればいいのか。

それは神に聞いてください。

 

それが『意宣り』です。

 

魂の成長は天の意向です。

 

つまり、『魂の成長のために神のお心のままに従います。魂の成長をさせてください。』が本当の意味での『意宣り』なんだと思います。

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。