正しさを求めすぎると負のスパイラルに陥ることもある。

こんばんは(^^)

寒さが一段と辛くなりましたね〜

次の日曜日、1月20日大寒ですね。

早くあったかくなってほしいです(>_<)

 

さて、皆様それぞれに自分の正しさを心に抱いていると思います。

その『個々の持っている正しさ』が大多数の人と合致したのが『常識』と言われるものだと思います。

 

『個人の正しさを見出して個人の幸せを求める』のは良いと思います。

僕もそうですし、個人の正しさは千差万別ですし。

 

『常識に囚われすぎてがんじがらめの状態で幸せを求める』のは厄介です。

 

常識に囚われすぎている人って他人に押し付けて自分の理想通りの行動や発言をしないと『勝手に』怒って『勝手に』攻撃してくるんです。

 

もっとタチが悪くなると『勝手に』自滅してそれを『人のせい』にするんです。

 

この国で、万人共通の最高権力は『法律』です。

『常識』には権限も何もありません。

 

『法律』は犯しちゃいけません。

が、法に触れないのなら本来やっちゃいけないことってないはずです。

 

迷惑をかけるからダメ、恥ずかしいからダメ。

 

前も書きましたが、周りに迷惑をかけない人はいません。

熊が冬眠前に腹を空かせて人を襲うと事件としてニュースになります。

でも、人が腹を空かせて牛や豚、馬などを当たり前に殺しています。

それがニュースに出るときは『〇〇の美味しい店』って出ます。

 

動物からしたらこの上ない迷惑です。

 

また恥ずかしいのも、『恥ずかしいと思っている人』だけです。

案外他の人は見てません。

 

この人間が作り出した『常識』というものがいかに理不尽で身勝手か。

そこに『感謝』すらなく、全て『当たり前』と思っている人もいます。

 

だから、神は『問題』を起こしたり、『天災』を起こします。

 

世の中に『当たり前』は存在しないです。

生きている今この瞬間ですら、感謝するべきことです。

 

心理学、スピリチュアルでは『〜するべき』に囚われないことをよく言われます。

 

ただ、感謝については『感謝するべき』だと思います。

 

ふと浮かんだだけのブログです。

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。