過去にすがり、未来を夢見て、今を忘れる
こんばんは(^^)
無事、大人の階段を登らせて頂きましたm(_ _)m
ここまで来るとあんまり嬉しくはないんですがね(笑)
ここからの1年は感謝を忘れないで生きていこうと思います。
今日は恒例、お寺の言葉シリーズです!
先日、保存した写真を見ていてとても引っかかった言葉です。
実際の言葉より、ちょっとスケールを大きくしました。
僕も未だにそうですが『過去のあの時、ああいう(違った)選択をしていたら・・・』とか『あの頃は良かったな〜』と思うこと沢山ありますよね?
それと同時に
『こういう未来が来たら良いなぁ』とか『こうなったら幸せだなぁ』と思うこと、ありますよね?
よくわかります。
僕も思いますし、考えます。
でも、『今』はどうなんでしょうか?
過去のある時、あの選択をしていなかったら今はもっと幸せなんでしょうか?
未来にこうなったら良い、が叶わないと幸せじゃないのでしょうか?
もっと言えば、『過去のある時にあの選択をして未来に望んだこと』が現実にはまだ見えていない[今現在]は不幸なんでしょうか?
『過去のある時にあの選択をしたから』こそ『未来がこうなれば』と望みを持てた『今現在』が不幸だとしたら、今まで生きてきた自分自身を全て否定しなくてはいけなくなります。
少なくとも、過去のある時の自分には『その選択』が一番良い選択であった。
という一番腑に落ちるハズの見方が除外されてしまいます。
更に、今未来に持っている『こうなる、こうする』という望みさえ否定しなければならないです。
誰もが、生きているのは『今』であり『過去にあの選択』をしたから『今』があり、『未来に望みが持てている』のだと思います。
歴史上の偉人やどんな凄い事をした人も、誰一人として『過去』や『未来』に生きた人はいません。
『今』を生きて、出来る限りのことをしていれば、少しずつ明るい見通しが出来ると思います。
今の僕がそうであるように。
ちょっと短いですが、このくらいにします!
ご覧下さりありがとうございます。
感謝しています。