ジャッジしないということは〇〇と言う

おはようございます(^^)

順調に色々ヒントを受け取ってます!

お陰様です。

ありがとうございます。

 

これも、受け取ったヒントの一つです。

これは・・・1年半くらい前ですかね、斎藤一人さんのお話を某動画サイトで聞いていた時に聞いた話です。

ふと、あることを考えていた時にこの話しが頭に浮かびました。

 

それが、『他の人が臨時収入が入ったら、良かったね、って言えば良いんだよ』という部分だけなんです。

もちろん、話の内容は他も覚えてますよ(笑)

 

で、何を考えていたら浮かんで来たかというと・・・

 

『神を思考を中心に=ジャッジしない』なら『ジャッジしない』とは目に見える現実にどう向きあえば良いんだろうか?

 

と考えていたんです。

 

ふと『良かったね』って浮かんで来ました。

 

なるほど。

ジャッジしない=良かったねって言えば良いのか。

 

全てニュートラルな状態で物事は起こる。

 

神は人間世界を俯瞰で見ている。

 

つまり『良かったね』なんだ。

 

あの時動画(というより音声だけですが)で聞いていたのは、神を思考の中心に置くということを理解した時に、ジャッジしないとはどういうことかを教えるために聞いていたのか。

 

またしても、天の采配には感服するばかりです。

 

小池先生のドS本にもありましたが『その場面だけを切り取って見るな。全て繋がっている。その1部分だけじゃ何の意味があるかわからなくても後から必ずわかるし全てがオーダーに向かうものとわかる。』という話しがありましたが、それはこういうことなんですね。

 

ジャッジしないとは、何か起きた時に良かったねって言うこと。

 

では良くないようなことが起きたら?

『当たり前が崩れたね。当たり前はないんだよ。気付くチャンスをもらえたね。良かったね。』

なんだと思います。

 

やはり、人間の顕在意識では考えられないようなことをパパッと起こして全てを調整する、神のタイミングは凄いです。

 

そんなにドンピシャですか!?っていう次元です。

これはまたの機会に話すことがあれば話します(笑)

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。

豊かです。