『心配』とはネガティブなものなのか?

こんばんは(^^)

春ですね〜!

重度の花粉症の僕には、なかなかしんどい季節です。

僕に限らず、花粉症の方はしんどい季節ですね(>_<)

 

漢字から読み解く言葉の意味シリーズ・・・の一部なのかな?

微妙なところですが、今日は『心配』という言葉の意味を探って行きたいと思います!

 

『心配』・・・事の成り行きなどが気になり、思い煩うこと。気がかり。気にかけて世話すること。

 

という意味がありました。

 

こうして見ると、ネガティブな言葉のようにも見えますね。

 

例えば、実家を離れ一人暮らしの息子や娘を思うご両親様の『あの子大丈夫だろうか?』

 

仕事のミスや失恋などでひどく落ち込んでいる友人のことを思って『あいつ大丈夫かな?』などなど。

 

しかし、語源を調べたところ、心配とは・・・

 

『[心配り]を音読して作られた和製漢語で江戸時代から使われ始めた。気がかりで[心を支配される]の意味から心配になったわけではない。』

 

とありました。

 

本来、心配とは『心を配る』が語源だったんですね。

 

心配で夜も眠れない・・・くらいに『心を(不安に)支配される』ことからではなかったです。

 

確かに、いくら夜も眠れないくらいに『心を不安に支配』されていても、両親でも友人でも『してあげられること』ってあんまりありません。

 

なぜなら本人次第だからです。

 

何かネガティブな事象に直面して、死にたいとボヤいてる人に、『親が悲しむよ』とか『良いことあるよ』って言われても、あんまり響きません。

人によるとは思いますが、僕の場合は全っっ然響きませんでした。

 

『そんなわけない。親だって俺がいなくなればせいせいするはずだ。生きてたって良いことなんかあるもんか・・・』当時の僕は、大体こんな感じの思考をしてました。

 

もちろん、両親だって『死ぬことはない!大丈夫だから生きなさい!』と言ってくれてました。

 

極端すぎる例かもしれませんが、ネガティブに捕らわれると、思考って単調になるものかもしれないって今でも思います。

 

もちろん、『してあげられること』もあります!

 

・なるべく一緒にいる

・とにかく話しを聞く

 

など、少しでも『自分の周りに誰かが常にいてくれる』『まだ孤独に陥ってはいない』と思ってくれるように接する、これが僕には一番大きかったです。

 

そして、きっとこれが『心配』の本来の使い方だと思ったのが・・・

 

『あなたに物理的にしてあげられることは少ないけど、こうして心を配っているからね。大丈夫だよ。独りじゃないからね。』と、『心を配っている』と『大丈夫』のエネルギーを送ることではないかと思いました。

 

以前書いた通り、『大丈夫』は本来、安心を与える言霊です。

 

きっと、『心配』と『大丈夫』の言霊は繋がると思います。

 

いつもいつでも、誰かが誰かに『心を配って』います。

だから、誰もが、全てが『大丈夫』です。

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。

豊かです。