その『息苦しさ』誰のためのですか?

こんばんは(^^)

言葉の力は本当に凄いですね!

今の僕が見ている世界には、たくさんの『ありがとう』が溢れています。

2年前の僕は『見えていなかった』世界ですね。

『見えていなかった』というより『見ようとしなかった』が合ってるかなとも思います。

 

発する言葉、思考することによって見る世界が変わるっていうのは本当だなと思います。

 

さて、今日はちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。

 

今『やることに追われている』『毎日しんどい』『プレッシャーがかかっている』などなど、『息苦しさ』を感じている人は多いと思います。

その『息苦しさ』って誰のために感じていますか?

 

これ、小池先生のブログで紹介されている『1日1ドS言葉』で見たものです。

当時(2年前)苦しかったのは何故だろう?と考えていたところ、この言葉が、ふわっと頭に浮かびました。

 

その言葉というのが

 

『一体誰の期待に応えようとしているんだ?』

 

というものでした。

 

これを軸に考えてみたところ・・・

 

当時の妻、両親や友人などの『ありもしない』期待に応えようと苦しんでいたことがわかりました。

 

何故『期待』が『ありもしない』か?

 

周りは一様に『どうにかするしかないんだからお前が後悔しない選択をしろ』って言ってたからです。

 

別に『こうしてこうしろ!』とか『こうするんだろ?』なんて誰も言ってきませんでした。

 

要は、『起きた事実』に対しての期待、どうするんだろう?なんて期待は誰もしていなかったんです。

『何とかして解決するしかない』は当たり前ですね。

でも『解決する方法はお前が後悔しない選択をな』がある意味期待です。

 

『ただし、死ぬな。それは解決じゃない。逃げだ。』

これはもはや期待とは言えませんね。

今となっては、そりゃそうだって思います。

 

今、日常の中で『息苦しさ』を感じている方は是非、考えてみてください。

『一体自分は誰の期待に応えようとしているんだろう』と。

 

すでにブログに挙げた通り、全ての根底は『大丈夫』です。

見えない、ありもしない『幻想』の『期待』に苦しまなくていいんです。

 

周りの期待って強いて言うなら『ありのままの自分』でいることくらいです。

それは、周り以前に『本当の自分』の期待です。

これやってあれやってを引き受けるだけなら、ぶっちゃけ誰でもいいんです。

引き受けてくれるから頼みやすくなって、頼まれるっていうサイクルです。

 

それが『幻想』の『期待』の正体だと思います。

 

全ての根底が『大丈夫』です。

 

抑えて、苦しんで自分を失くすより、ありのままの自分でいた方が楽しいし幸せだと、今思っています。

 

ありのままの自分でいるってことは、ありのままの自分を愛して大事にしているということに繋がる気がします。

そうすると、自分の周りには『ありのままでいる自分を愛して大切に思ってくれる』人が集まります。

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。

豊かです。