誰ひとりとして悪を欲する人はいない

こんばんは(^^)

GW終わりましたね〜

今年は初、この時期に休みを満喫しました♪

 

ところで・・・

そろそろ突っ込まれそうなんで先に言いますね(笑)

このブログ、スピリチュアルブログとか言っておきながら、最近スピリチュアルな話題出てない(笑)

なんなら、アドラー心理学の話題からちょっと哲学的な話題も出てきたりしてますが(笑)

スピリチュアルはどこへ・・・?(笑)

 

まぁ、いいか(笑)

 

今日は、いや、今日も(笑)

嫌われる勇気で見つけたことについてです。

 

『誰ひとりとして悪を欲する人はいない』

ソクラテスのパラドクスとして知られる命題だそうです。

 

どんな悪事に手を染める人も『悪いことをしてやる』という気持ちでやる人はいないというもので、その裏には『しかるべき理由がある』ということです。

そして、その事象はその人にとって『善』の遂行であるという意味です。

 

この場合の『善』とは、道徳的な『善』とは違います。

この『善』は『ためになる』という意味です。

 

では逆に『悪』というのは『ためにならない』という意味だそうです。

 

ここまで書いといて、一つ言わせてください。

今日のブログ、別に犯罪談義をしようというわけではありません。

 

誰もが持っている、ビリーフであったり自己肯定感、自己価値観、自分の価値に対する無意識の優劣、常識感etc

 

こういったものが形成されたのは、ほぼ『家族』という共同体だと思います。

お金について(お金を稼ぐのは大変、お金は汚い、お金は常にあるなどのもの)、自分は他人と比べてダメなんだ、もっと頑張らないと価値がない、などなど・・・

 

これらの『無意識下の、自分に対する価値観』が形成されたきっかけ。

 

それは、『子供は親の庇護により生きていける』です。

つまり、『頑張ったら親が褒めてくれる、認めてくれる、親が喜んでくれる』んです。

逆に『頑張りが足りないと怒られる、認めてもらえない、怒る、悲しむ』わけですよね。

 

すると、『この家庭で生きるためには頑張らなきゃ』が形成されます。

そのまま大人になり『この家庭で』は『社会で生きていくためには』に変わります。

 

それが幸せか不幸せかは別にして、人間が無意識下で一番『ためにならない=悪』としていること。

それは『死』だと思います。

 

つまり、幸せだろうが不幸せだろうが、『ためになる=善』つまり『生きていく』が根底にあってそのビリーフなり自分に対する価値観が作られたと言えると思います。

 

つまり、不幸せなんです=悪=ためにならないには繋がらない気がします。

人間が変化を拒むのには、『今までの環境が幸せであれ不幸せであれ、生きてこられた。変化することで更なる不幸せ=ためにならないこと=死に繋がるかもしれない』という不安があります。

死に繋がるっていうと大袈裟に聞こえるかもしれません。

でも、転職することで給料は増えるかもしれませんが、睡眠が減るかもしれません。

 

人間関係において上手くいかず、精神的に落ち込むかもしれません。

これは悪くすると、うつなどに繋がり、仕事どころじゃなくなります。

僕も経験したのでわかります。

仕事行くの嫌だな〜って幸せな嘆きだなと思います。

それどころじゃなく、死ぬしかないんだくらいまで思い詰めたりします。

 

決して、死に繋がるって大袈裟ではないと僕は思います。

 

生きてこられたのだから、そのままなら少なくとも生きていける、が人間が変化を拒む理由の一つだと思います。

 

でも、幸せになると決めたのなら変化はしなくてはいけません。

物理的になのか、内的になのか、両方か。

 

実は僕も今、両方の変化をしようと思いつつやはり怖がっている自分がいます。

こういう時、一番良いのは、自分自身との対話です。

何が怖いのか、何故一歩踏み出せないのか、しっかり聞いてあげた上で優しく諭してあげる。

そして、自分自身をしっかり信頼し、自分自身をしっかり愛していることを伝える。

 

まずは、『自分自身が自分自身の一番近い一番最強の味方になる』ことが、自分自身にとって一番の『善』かもしれません。

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。

豊かです。