天は二物を与えず

こんにちは(^^)

夜勤明けて、ちょっと寝てまた寝ようと思ったんですが寝れないので・・・ね(笑)

 

ちょっとスピリチュアルな話題を(笑)

 

天は二物を与えず

 

神様は一人の人に複数の才能などを与えることはないという、戒めのことわざですかね。

 

でも、僕ちょっとこれに疑問を抱いています。

 

というのは、『何が与えられるかではなく、与えられたものをどう使うか』というアドラーの言葉。

これ、スピリチュアルでも言われます。

 

何か一つ与えられたとしても、その一つのことって分解することが出来ると思います。

すると、複数のことの中から自分のやりたいことや出来ることが見つかると思うんです。

 

僕の持論です。

この言葉の真逆です。

 

『天は二物を奪わず』

 

僕のここ数年を振り返ると思います。

 

何かを手放す前に別の何かが与えられていた、ということを。

 

心理というものを知ったけど、元妻の反対で勉強していなかった後に、うつを患い、本格的に勉強し始めて。

心理学を面白い、もっと学びたいと思ったあとに別れたり。

 

一気に全てを奪って、その人が希望をなくし何もしない人生を生きること、もっと言えば自殺してしまうことが神にとっての大損害なんだと思います。

 

これは人間的な物質論ではありません。

何故なら、その人が生きようが死のうが、神の元にお金や物質はいかないからです。

そもそも必要ないですしね(笑)

 

では、どう損害なのか?

 

『その人が希望をなくし何もしない人生を送る又は自殺してしまうことにより、成長すべき魂が成長せずに終わってしまう。その人に影響を受けて成長すべきいくつもの魂の成長するチャンスが途絶えてしまう』ことが神的な損害なんだと思います。

 

何度も書いてますが、神様は意地悪で取るわけではありません。

それを手放すことによって、魂が成長するチャンスだから一度取るだけです。

 

魂が成長したらまたくれます。

 

一気に全てを奪っては、ほとんどの人が希望をなくすこともわかっています。

だから、そうならないように上手く調整して導きたいところにゆっくり導いてくれます。

 

その時も『与えられたものをどう使うか。この状況でどう魂の成長をすべきか』を考えると一歩先に進めると思います。

 

実はこれ、今ふと湧いてきた、未来の自分の講演のシーンで言ってたことです。

 

このシーンを現実に創造するために、まだまだ歩みを止めるわけにはいかないなと感じました。

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。

豊かです。