与え方と受け取り方の違い

こんにちは(^^)

昨日はバタバタしてしまいブログ更新が出来なかったので昼間に更新します!

 

最近気付いたことが一つ。

自分自身では、あまり気付いていなかった(顕在意識では)のですが、無意識では『自分は幼少期にもっと親に愛されたかった、甘えたかった』と感じていたのだと。

 

もちろん、この歳になって親にそんなこと言いたくもないですし、頭がおかしくなったと思われると思うので言いませんが(笑)

 

でも、多分相当な愛情を受けてきたと思うのも事実です。

 

じゃあ、何がダメだったの?ってことになります。

ダメだったというと語弊がありますね。

 

誰にもあることだと思うのですが、こちら側が意図して発言したことを、相手が誤解して受け取ってしまうという言葉のすれ違い。

 

まさしくこれと同じなんだと思います。

 

つまり、親側が意図した愛し方を受け取り側(つまり自分)が愛情として受け取らなかっただけ。

 

親の愛し方と自分の理想としていた愛され方が違ったっていうことです。

 

今、僕が言葉の力を使いつつも完全的に自分を愛しきれてないのはここが原因ではないかと思います。

(まぁ、言霊を唱える回数がまだまだ少ないというか足りてないのもあると思いますが・・・)

 

自分が理想とした愛され方をしなかった→自分は愛されなかった→自分は〇〇じゃないと愛されない→〇〇が出来ない自分は(誰にも)愛されない

 

ざっとこんな感じだと思います。

 

以前より、自己愛は増したと思いますが恐らく120%愛しきれているか?と問われたら答えは否です。

 

確かに以前より、自分の感情やら心に向き合って我慢は少なくなりました。

それでも、100%自分を楽しませて、安心させて、信頼しきって、愛しきって、とまではいってません。

 

不器用なタイプなので、複数のタスクをこなすことが上手く出来ないのもあり、安心させきる、信頼しきる、愛しきるという自分としっかり向き合うということと他のやるべきことを同時進行出来ないのも事実です。

 

それが、自分という人間であり個性なのでそれは受け入れているつもりですが、多分潜在意識下では100%受け入れてもらった!とは感じてないのでしょう(笑)

 

それが苦しいのか?と言われたら、微妙なんですが・・・

苦しくて仕方ないのなら心理セラピーなどを受けに行くんですが、やることが多い中、自分と向き合うこともやるべきことの一つとして時間をかけて内面を見つめるのも自分が少しでも喜んでいるのがわかるので嬉しいのです。

 

難しいですね(笑)

 

ただ、この世に愛されていない人はいないというのは本当だと思います。

誰かしらに愛されているのだと。

親、兄弟、親族、恋人・配偶者、同性異性問わず友人達。

そして、宇宙や神様を始め天界の存在。

自分自身。

 

与え方も受け取り方も間違いではありません。

お互いの理想のやり方が違うだけです。

 

物理的に愛するとか甘えるっていうことが出来れば一番手っ取り早いのは誰しも同じですが、それは無理ですからね(笑)

 

そもそも、これが愛です!なんて物理的に出すことなんて出来ませんからね。

 

自分で出来る限り最大限に自分の理想の愛し方をする、出来る限り自分を甘えさせる。

多分ですが、時間はかかっても本質的な解決に近づくのはこれだと思います。

 

さっ、めげずに続けよう。

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。

豊かです。

 

皆さまの今日という日に、おめでとうございます!