どちらが本当の自分か?ではなく、どちら『も』自分自身だと思う

こんばんは(^^)

まだまだバタバタしながら、ちょこちょことやっていますがそろそろ実践的なことを学び始めたいと感じている今日この頃。

とりあえず、2019年中には心理セラピストの資格は取ろうと思ってオーダーし、行動を始めました。

 

最近、見るもの聞くもの様々なものから色々考えさせられます。

そこで感じたのは、強がったり仮面を被っているのが偽りの自分であり、その裏にある『弱くて、本当はダメな自分』が本当の自分であるってそうなのかな?ということでした。

 

人間誰しも、本音と建前はあるはずですし、見返りを求めない究極的な愛に生きている人って多分そこまで多くないと思います。

本音と建前も使い方次第では、腹黒いって思われますし。

 

心の中で思っている本音、言葉や表情や態度に出す建前。

これって、全部まとめて自分自身の感情ではないのか?と最近思います。

 

例えば、心の中では『あいつウゼーな』と思いつつ、表情や態度は『愛想笑い』をする。

自分一人の中で解決してますよね?

 

あなたは強い子(人)、頼りになる、勉強や仕事ができるetcという目線と、周りの評価を守りたいが故に自分を押し殺してしまう。

 

もちろん、『人を傷つけないように接しなさい』という教育によって親を悲しませないために又は自分を守るために愛想笑いという技を覚えて使うとか、『あなたは〇〇な人だね』という周りの人からのある意味では洗脳みたいな評価から、期待を裏切らない自分を取り繕ってしまう。

 

すると、本音の自分、仮面の下の隠された(もっと言えば自分によってタンスの中に押し込まれた自分)の二人の自分が、相反する状態で一緒に生きているようになるのではないかと思います。

 

ちなみに、僕は完全にこのタイプでした。

(今は少しずつ弱い自分を出すようにしてますが、まだまだ強がったりする自分もいます。)

 

人を傷つけないように、周りの評価を落とさないように生きてきた結果、闇しか見えなくなって自分も他人も大切にしきれなくて、涙が止まらない時期もありました。

自分を大切に出来ない人に他人を大切にすることは出来ません。

何故なら、自分を大切にしていないと他人も自分を大切にしてくれないので他人を大切にしようと思えないからです。

そんな時期が僕にもありました。

あの頃は、本当に・・・ねぇ(笑)って今では笑い話です(笑)

 

でも、そんな時に助けてくれたのって、間違いなく仲間です。

普段は友人って言いますが、仲間だと思っています。

 

飾り立てた自分の時も、本当の弱い自分を見せてからも仲間の数は減っていません。

泣きながら電話した人達は今でも自分と付き合いがありますし、何なら関係性は深くなったと思います。

 

約2〜3ヶ月前からアドラー心理学を勉強しています。

アドラー心理学のベースは『人間の悩みは全て対人関係の悩みである』と言っています。

対人関係を改善すれば、悩みが減り幸せに近づくと考えています。

対人関係を改善するって難しいのではないか?

アドラー心理学も、他の心理学と同じように『他人を変えるのではなく自分が変わる』ことを説いています。

 

つまり、他人を変えるのは難しいということです。

 

でも、自分が変わるって難しいような気もしますが、実際覚悟さえあれば出来ます。

 

ちなみに、悩みの全ては対人関係の悩みである、自分が変われば対人関係は変わるというアドラー心理学ですが、『対人関係の中で一切傷つかないようになる』なんて一言も出ません。

むしろ、『対人関係の中で一切傷つかないなんて無理である』と、嫌われる勇気では言っています。

 

対人関係の中で傷つかない方法を考えて、自分を偽る力があるのなら、自分が変わる方法にその力を注ぐと生き辛さは減るのだと、僕は実体験で経験しました。

まぁ、生き辛さが今の時点で0というわけではありませんが。

 

当時が生き辛さ100なら今は10〜15くらいです。

そのくらい、生きてて良かった、生きてて良いんだ、誰も天寿以外で死ぬことはないんだと感じています。(これは自殺しなくてもいいっていうことです)

 

お陰様です。

ありがとうございます。

幸せです。

豊かです。

 

皆さまの今日という日に、おめでとうございます!